トンデモ仮説にダマされない「懐疑の技術」


この記事の所要時間: 420秒 〜 520秒程度(2396文字)


企業は目標を達成するためにさまざまな施策を実行する。
このとき、目標と施策の因果は仮説に過ぎない。つまり、どれもやってみなければわからないのだ。「製品の機能を向上させれば、消費者が飛び付く」も、「広告出稿を増やせば、売れる」も、「SNSを積極活用すれば、商品のファンができる」も、あくまで「そう考えることができる」だけだ。「◯◯すれば、××になる」と言うロジックは、自社の活動による他者や他社の変化を想定している限り、仮説でしかない。たとえ自社の活動をコントロールできたとしても、その波及効果はコントロールできないのだ。
 
もちろん、事実やデータを積み重ねることで施策=仮説に「もっともらしさ」を生み出すことは可能だし、これを怠ってはいけない。しかし、これらの検証作業には限界があり、どの施策を採用するか、どの施策に多くの予算を配分するかは、最終的に「エイヤー」の判断にならざるを得ない。企業内で立場のある人間が判断を下す際には、もっともらしい理由が述べられるが、あんなのただの後付けの作文だ。厳密な議論には程遠い。
 
それでも、企業は仮説に過ぎない施策を採用することになる。何かを選ばなければ前に進めないし、そもそも確実に成功する施策などわからないからだ。実際のビジネスにおける施策選びでは、事実やデータを使うことで少しでも意思決定の精度を上げることしかできる。言い換えれば、それしかできないのだ。
 
仮説の外れることがあっても、他社と較べてその確率が低ければ、いつかその差が業績にあらわれる。呑気な話のようだが、こう考える方が現実的だ。この世に魔法使いはいないのだから、仕方がない。
 
さて、そうは言っても、世の中にはトンデモない商品や戦略が満ち溢れている。そもそも明後日の方を向いているような、正気の沙汰とは思えない企業活動は後を絶たない。多くの場合、なぜそんな仮説を採用したのか、端から見るとわけがわからないが、企業の中では諒解が取れているのだから驚いていしまう。
 
他人事ではない。
どんな会社でも、トンデモない仮説が採用され、顧客や社員や取引先や株主が酷い目に合う可能性はある。故意か過失かは別にして、トンデモ仮説が「もっともらしさ」の仮面を付けて登場したなら、それを見抜かなければ面倒なことになるのだ。今回は、これに巻き込まれないために必要な「懐疑の技術」を紹介しよう。
 

photo credit : gato-gato-gato via photopin cc

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ダマされないための4つの懐疑

顧客なのか、社員なのか、取引先なのか、株主なのかで、実際に「できること」は異なる。しかし、これから説明する4つの懐疑の視点を持つことは、直接的、間接的に重要な効果を生み出すだろう。
 
 発案者の影響を受けてないか? 
まず疑うべきは、誰が発案者なのかによって影響を受けていないかだ。
 
過去に実績のある上司、取引先に食い込んでいる先輩、議論がうまい人物が主張している仮説というだけで、それが採用されることがある。そもそも、ひとつひとつの仮説の良し悪しは発案者と関係ない筈だが、企業でものごとを決める限りそうは行かない。その結果、一部の人間の思い付きに振り回されることになり兼ねない。
 
これを避けるためには、その発案を別な人間、例えば一番の新人が行なったとして、同じくらい支持できるか考えるといい。それでも正しいと思えるなら、その仮説は本物だ。
 
 ゼロベースで正しいか? 
企業が行なう多くの活動では、これまでの活動との整合性が意識される。しかし、整合性ばかりを重視していると、間違った方向に進み続けることもある。これを繰り返すと、取り返しがつかない事態を招く。
 
時には、これまでどのくらい予算を使ったとか、過去の成功に準じているとかを抜きにして、仮説をゼロベースで評価することも必要だ。現時点で手持ちの施設や経験がなかったとして、同じ経営目標を達成するために、何をするか考えてみるといい。その仮説は採用されるだろうか。
 
 希望的観測が入ってないか? 
仮説が失敗する原因のひとつは、希望的観測が多く含まれた未来予測にある。今後10年間に亘って市場規模が30%ずつ拡大し続けるなど、無責任な仮定がなされた仮説は多い。
 
もちろん、先のことはわからないのだが、モノには限度がある。仮説を支持する根拠に、希望的観測や無責任中亭が多くないかはチェックする価値がある。
 
 反論に耐えられるか? 
仮説の欠点探しも大切だ。
自分がその仮説を支持するか決める前に、徹底的に反論を考えてみるのだ。
 
反論を行なってみて自信が揺らぐようなら、その仮説は採用しないほうがいいだろう。仮説を支持するために無理をしている自分が見えてくるかも知れない。
 


仮説と考える謙虚さを!

すべての仮説を疑うと、一歩も前に進めなくなる。スピードが要求されるビジネスの現場では、いちいちつべこべ言わずやってみる必要があるのは間違いない。
 
しかし、だからと言って、すべて判断停止で受け入れればいい訳ではない。仮説を、まるで間違いがない真理のように扱うことはあまりに危険だ。
 
世の中には、ものごとを確定的に捉える人と懐疑的に考える人がいる。
ビジネスにおいては、確定的な人間が持て囃されるが、かなりのリスクを背負っているのは間違いない。策に溺れることなく、常に仮説であることを認める謙虚な姿勢が必要なのではないだろうか。

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