仕事仲間の私生活など知りたくない!


この記事の所要時間: 250秒 〜 350秒程度(1688文字)


時折、松尾スズキさんのこのツイートを思い出す。インターネットで、特に知りたくもない仕事仲間の私生活を垣間見たときなどだ。今の時代、好むと好まざるとに関わらず他人のプライベートに触れることは多い。図らずも知り過ぎてしまうわけだ。
 
「知り過ぎる」は厄介だ。
この感覚に共感できる人とできない人がいるだろうが、ツイッターやフェイスブックに好き嫌いがあるのは、このあたりの感覚の違いが大きいように思う。人とどんな風に付き合いたいのか、その価値観があらわれている。
 
さて、自分の場合、仕事仲間の私生活など知りたくない。
今回は、そんなお話を書いてみようと思う。
 

photo credit : webtreats via photopin cc

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世の中、知らない方がいいこともある


人として、友人や知人などについて「知りたい」と思うのは一般的な感情だろう。人により強弱があるものの、この感情なくしては人間関係が成り立たない。
 
以前は、それが友人や知人からの積極的な発信であったり、風のうわさという名の口コミだったりした。情報の量は限定的で、もっと知りたいと思うことも多かった。知り合いの情報を探そうとしても、なかなか手に入らなかったのだ。
 
しかし、ツイッターやフェイスブックの浸透で情報環境が大きく変わってきている。今や情報は求めなくても入ってくる。フォローしたり、友だちになったりすると、誰に向けたものかわからない情報が大量に届くのだ。
 
その上、これらのサービスへの書き込みは、積極的な発信とはまた違った位置付けなのもたちが悪い。ダイレクトな発信と違い、読みたい人が読むだけなので、メッセージの位置付けはおのずと曖昧になる。書き込む側のハードルも下がり、何でもかんでも書き込むような人もいる。
 
ツールと情報環境が変わり、友人や知人の情報は格段に手に入りやすくなった。しかし、その情報は玉石混淆で、中には知ってしまって困るようなこともある。年賀状の子供の写真みたいな、困りだ。これが、「知り過ぎる」感覚の正体だろう。
 
どうも弱い発信は性に合わない。
世の中には、知らない方がいいこともたくさんあるのだ。
 


「つながり過ぎ」という危険


そして、友人や知人とつながり過ぎると好きなことが書き込めなくなる。
あの人が読んでいるという自覚が(本当は読んでないかもしれないが)、書き込みの内容を制御しはじめるのだ。
 
こうなったら、もう、そのアカウントは形骸化するばかりだ。そうやって、サービスは詰まらなくなっていく。フェイスブック疲れなどもこの文脈にあるように思う。
 
今はまだ「つながり過ぎ」を喜んでいる人が多いようだが、そこには危険な香りがつきまとうだろう。
 


好奇心を抑制しよう


ツールが変わったことを真摯に受け止め、何でもわかる時代だからこそ、「知りたい」という好奇心を抑制する必要がある。仕事仲間の私生活なんて、知っていても得はない。
 
ツイッターやフェイスブックの使い方は人それぞれだが、その人が発信する情報を「本当に知りたいか」考えることも重要になる。友達だからフォローするのではなく、「知りたいか」を基準に判断するのだ。
 
ちなみに、自分の場合、ツイッターで知り合いはフォローしないことにしている。こんな使い方もあっていいのではないだろうか。

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