忠臣蔵と旧暦/新暦と記念日マーケティング


この記事の所要時間: 250秒 〜 350秒程度(1668文字)


本日12月14日は忠臣蔵の日だ。「時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、・・・」。今から300年以上前のこの夜、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが為された。
 
「日本人なら忠臣蔵でしょ」は柳家喬太郎の新作落語『白日の約束』の中の決めぜりふだが、これを引っ張り出すまでもなく日本人の忠臣蔵好きはかなりのものと言えるだろう。今年は新装なった歌舞伎座が11月、12月と連続して『仮名手本忠臣蔵』を上演、映画ではハリウッド版忠臣蔵『47RONIN』が公開など、出し物には事欠かない。
 
さて、吉良邸討ち入りといえば雪景色が付きもの。でも、この江戸・東京で12月に積もるほどの雪が降ることは珍しい。このため、忠臣蔵の時季の設定に少し不自然さを感じる人もいるだろうが、実はそんなことはない。当時の12月は今よりずっと寒かったのだ。
 

Photo by Wikimedia Commons Photo by Wikimedia Commons / PD

 


討ち入りは1月30日だった


昔は今より寒かったと言っても、温暖化がどうしたとか、家や暖房がどうこうという話ではない。ここで話題にしたいのは、旧暦(天保暦/太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦/太陽暦)への変更が招いた、ちょっとした食い違いの話だ。
 
赤穂浪士が討ち入りしたのは元禄15年12月14日でこれは旧暦の日付。この日を新暦に置き換えると西暦1703年1月30日となる。東京の平均雪日数は12月0.8日、1月2.8日、2月3.7日(1981年〜2010年/参考:東京の雪日数|気象庁)だから、1月末なら東京で雪が降っても珍しくない。
 
明治6年に新暦が導入されたとき、「日付」だけをそのまま移し替えたので「時季」がおかしくなった訳だ。ある種の記念日なので、人心が「12月14日」というラベルに引っ張られるのは仕方ないが、そのせいでちょっとした不自然さが出来てしまったことになる。
 


七夕は梅雨明け後?


旧暦の「日付」を残したための不自然さは、七夕でも起きている。晴天を願う筈の行事が、雨の多い「時季」に行なわれるのは旧暦と新暦の食い違いが原因だ。
 
そもそも七夕は旧暦7月7日に行なわれていた。旧暦7月7日を新暦にすると、2013年なら8月13日、2012年なら8月24日、2011年なら8月6日、2010年なら8月16日、2009年なら8月26日、2008年なら8月7日となる。旧暦には閏月があるため新暦の日付は必ずしも安定しないが、調べた限りでは8月に収まる「時季」だ。少なくとも新暦7月7日より1か月近く遅くなるのは間違いない。
 
そして、日本の多くの地域で7月7日は梅雨の最中であることが多く、8月は梅雨明け後であることが多い。現在の七夕は雨のことも多いが、昔の七夕は今より晴れの日が多かっただろう。七夕は、旧暦の「時季」に行なった方が盛り上がりそうだ。
 


記念日は「旧暦マーケティング」で・・・


さて、この旧暦と新暦の食い違いはマーケティングに活用できるだろう。「日付」を活かしたために「時季」がおかしくなっている記念日を、そもそもの「時季」で取り上げることで、その記念日の意味合いは明確になる。ポジションがはっきり決まるのだから、ちょっとした不自然さを抱えた「日付」で記念するより価値が出てもおかしくない。
 
寒さが身に沁みる新暦1月30日に忠臣蔵を記念したイベントを仕掛けるとか、暑い最中の旧暦7月7日に素麺を売り出すとか。飽きられている記念日も多い中、この一工夫によって新鮮さがよみがえる。そして、それが奇を衒った方法ではなく、過去を重視して本来の「時季」に戻した姿なのだから筋も良い。
 
これを「旧暦マーケティング」と名付けると怪しい感じが漂ってくるが、旧暦をうまく活用してマーケティング活動を仕掛けるのは「アリ」だろう。寒さが厳しい大寒のころ、赤穂浪士に思いを馳せるのも悪くない。

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.