「エゴサーチ」は使えない!


この記事の所要時間: 240秒 〜 340秒程度(1555文字)


「エゴサーチ」という言葉が登場して、どのくらいの月日が経つだろうか。
エゴサーチとは「インターネット上で、自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名で検索して自分自身の評価を確認する行為」のこと(参考:エゴサーチ|ウィキペディア日本語版)。SNSの流行などをきっかけに、誰もが自分に対する評価を気にするようになり、一気に広まったように思われる。最近では、「エゴサ」と省略されることもあるようだ。
 
さて、この「エゴサーチ」の意味が変わりつつあるようだ。自分自身に関連すること以外の検索についても、「エゴサーチ」という言葉を使う例を見掛けるようになった。新しい言葉だけに、意味の変化も早いのだろう。新語などそんなものだとはわかってはいるものの、これまでと違う使い方を目にすると、やや引っ掛かるものがある。
 

ego

credit: john curley via FindCC

 


「評価を確認」の部分だけがひとり歩き


「エゴサーチ」の新しい使い方は、自分が知る限り「○○さんについてエゴサーチしたら・・・」という感じだ。検索全般を言うのではなく、他人やサイトの評価を調べるときに使っている場合が多い。ウィキペディアの語釈で言えば、「…自分自身の評価を確認する行為」の「評価を確認」の部分だけがひとり歩きしている恰好。検索の対象が、自分自身だけでなく、思い入れの強いタレント名やサイト名などに拡張しているようだ。
 
この使い方に「エゴなのだから自分のことに決っているだろう!」というツッコミを入れるのはたやすい。しかし、「けしからん」と言っても始まらないのも確か。こういう使い方をする人がいるのは間違いないようだし、それを止める術はないだろう。言葉の変容には、もっと現実的な対応が必要になる。
 


誤解を招く言葉を使わない


言葉の意味の変容について考えるとき思い出すのが、山田俊雄と柳瀬尚紀の対談だ(参考:『ことば談義 寐ても寤ても』山田俊雄、柳瀬尚紀/岩波書店)。この対談の中で、「恵存」を目上の人に使っていいかという話題があり、山田俊雄は「いや、ぼくはあのことばは使ったことがないんです。分からないから。」という発言をしている。国語学者にして辞書の編者代表でもある山田俊雄が、分からないことを理由に「使ったことがない」と言っているところに重みがある。
 
言葉を使う目的はコミュニケーション。辞書的に正しい言葉を使っても、相手に意味が通じなければ本末転倒になってしまう。本来の意味にこだわるあまり、その言葉の使われ方を無視して間違いを指摘することは、ある種の手段の目的化だろう。間違っていることを指摘しても、社会全体の言葉遣いを変えることはできず、現実的な解決策にはならない。
 
コミュニケーションで大切なのは、誤解を招かない言葉を使うことだ。例えば、「確信犯」、「気が置けない人」などは、現在でも本来の意味と新しい意味(?)の両方が使われている。これらの新しい言葉遣いを批判するのではなく、使わないことで誤解を避けるのが現実的な対応だろう。だからこそ、新しい意味が発生しだしている「エゴサーチ」は安易に使えないことになる。
 
ビジネスの世界でも、カタカナ語を中心に誤解を招き兼ねない言葉は多い。そのとき、「そもそもは・・・」を振りかざすことなく、その言葉を避けることがエレガントな問題解決になる。コミュニケーションの本来の目的を果たすためにも、「誤解を招く言葉を使わない」という選択肢は実用的だ。

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