片方だけなくなる靴下と哲学としての統計学


この記事の所要時間: 310秒 〜 410秒程度(1870文字)


「なぜ靴下は片方だけなくなるのか?」というテーマがある。「片方だけなくなる」理由は簡単で、両方なくなったら、なくなったこと自体に気付かないから。この答えは、言われてみれば「ごもっとも」だが、なかなか思い浮かばない発想だろう。「そもそも靴下なんてなくさない!」という野暮なつっこみさえしなければ、よくできた寓話と言える。
 
このように、自分が接したり、気付いたりした部分だけに注目して、誤った結論に達することは少なくない。ある意味ではデータを集めて考えているのだが、データをうまく使いきれてないでも言おうか。そこに欠けているのは、「哲学としての統計学」となる。
 

靴下

credit: clausjuntke via pixabay

 


はやっていた店が閉店するのは・・・


「あの店は、はやっていたのに閉店してしまった」などというのも、同じような仕組みだろう。ランチの1時間だけ混雑しているようなレストランの場合だ。
 
例えば、営業時間は11時〜14時と18時〜23時の計8時間、お客は12時〜13時が30人で、他の時間帯は1時間あたり2人とする。この場合、平均の客数は、1時間あたり5.5人( 44人 ÷ 8時間 )。しかし、お客の視点で考えると、これが大きく変わってくる。多くのお客は30人の時間帯しか目にしてないため、常に混んでいるように感じられるのだ。
 
お客が見る客数は、30人見る人が30人で、2人だけ見る人が2人 × 7時間で14人。お客が見た客数を平均すると、21.1人( 928人 ÷ 44人 )となる。この平均に意味があるかは別にして、お客が考える客数はこちらに近い筈だ。このような実際の平均値とお客の主観の平均値の違いが、「あの店は、はやっていたのに閉店してしまった」の原因となっていても不思議はない。
 


「半径100メートル」の話を一般化?


「最近の新入社員は覇気がない」も似たようなものだろう。自分の会社や部署の新入社員だけを見て言っていることがほとんどで、要は「半径100メートル」の話というやつ。これを世間一般の新入社員に当てはめるのは無理があるが、それをついついやってしまう。
 
更に言えば、昔から新入社員は覇気がなかったかも知れないし、ベテラン社員の覇気がもっと低いことも有り得る。自分の勤めている会社の評価が下がり、覇気があるような学生が集まらなくなったことも考えられるだろう。こう考えていくと、何が「最近の新入社員は覇気がない」なのかわからなくなってしまう。
 
靴下の場合もレストランの場合も新入社員の場合も、起こっていることの全体像を把握できず、誤った結論に達している。そして、こういう罠に引っ掛からないために役立つのが、「哲学としての統計学」だ。
 


「哲学としての統計学」ノススメ


最近、統計学やデータ活用が何かともてはやされているようだが、細かなテクニックの話ばかりが多くて心配になる。本来、統計学やデータ活用で大切なのは、全体像を数値として客観的に捉えようとする姿勢。それなのに、そこの部分を手抜きして、技巧にばかり走っているように見えるのだ。ひどい場合は、わざと客観性を無視して、データをでっち上げの材料に使っている。
 
統計学にかぎらず、具体的なノウハウなんて、正直どうでもいい。時代や場所によって大きく変わるものだし、コストさえ許せば最新技術など簡単に手に入るからだ。大切なのはその背景にある考え方。「哲学としての統計学」というのは、正にそのこととなる。
 
もちろん、実務ではノウハウを使いこなすことも重要で、ノウハウなしに哲学だけを振り回していても口先だけの人になってしまう。しかし、その一方で、哲学のない人が無闇にノウハウを振り回して、訳のわからないことをしているのも確か。当然、両者のバランスが必要なのだが、今はやりの統計学に欠けているのは、哲学の方に思えてならない。
 
片方だけなくなる靴下の例ではないが、普通に考えておかしなことが起きたときは、現象の全体像がみえていない場合が多い。このとき、全体像を数値として客観的に捉えようとする「哲学としての統計学」の姿勢は必ず役に立つ。データに足を救われないためにも、「哲学としての統計学」をオススメしたいところだ。

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