中吊り広告はもう古い?


この記事の所要時間: 310秒 〜 410秒程度(1799文字)


今秋、山手線に新しい車両が登場する。既にメディア向けにお目見えしているので、ご覧になった方も多いだろう。話題になっているのは、電車の「顔」とも言える車両正面のデザイン。「目」にあたるライトの部分が目立たないため、人によっては違和感を覚えるようだ。当然、そのうち慣れてくるとは思うが、確かにこの「顔」はユニークに映る(参考:姿を現した「E235系」 山手線の新型車両はココがすごい!|鉄道新聞)。
 

"JRE SeriesE235" by Shokawasharyo - Own work. Licensed under CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

JRE SeriesE235” by ShokawasharyoOwn work.
Licensed under CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

 
そして、この新型車両のもう一つの話題が、中吊り広告の廃止だ。その理由は定かではないが、背景に需要と供給の関係があるのは間違いないだろう。つまりは、中吊り広告の需要が減っている、もしくは今後減少する見込みにあるということ。もしかすると、中吊り広告はその使命を終えつつあるのかも知れない。
 


スマホがあれば中吊り広告なんて見やしない!?


電車の中での暇つぶしの定番といえば、以前は本、新聞、雑誌などの紙媒体と相場が決まっていた。それが現在では、ご存知の通りスマートフォンをはじめとする電子デバイス中心になっている。この電車内での行動の変化が、中吊り広告を窮地に追い込んでいるように思えてならない。
 
紙媒体から得られる情報は文字や写真が中心で、そして何より有限だ。記事を読んでいて気になることがあっても、それを検索することはできないし、そもそも情報はあまり自分向けにカスタマイズされていない。新聞や雑誌に飽きることもあるし、読み終えてしまうこともあるだろう。そんなときに車内を見渡し、中吊り広告に興味をひかれることも多かったように思う。
 
これに対して、電子デバイスは自由自在だ。インターネットにつながっている限り、自分が欲しい情報をほぼ無限に手に入れることができるし、情報は刻々と更新される。直接自分に向けられたメールやメッセージを読むこともできれば、TwitterやFacebookなどに情報を発信することもできる。そして、音楽も動画もあるし、情報に飽きればゲームをしてもいい。つまり、電子デバイスでは紙媒体よりも自分の好みにあった情報が手に入り、強い刺激を受け、心を奪われる。これでは、ふと中吊り広告を見上げる余裕などなくなってしまうだろう。手元にスマホがあれば、誰も中吊り広告なんて見やしないのだ。
 

スマートフォン

credit: nvtrlab via pixabay

 
突き詰めて考えれば、メディアの競争は時間の奪い合い。人間の持つ限りある時間を、どこまで自分のメディアに向けられるかを争っている。奪った時間の量が、そのメディアの広告価値と考えてもいい。ある新聞のライバルは、他の新聞やテレビのニュース番組と考えがちだが、競争を時間の奪い合いと考えればライバルの範囲は際限なく広がるのだ。そして、今回の中吊り広告の廃止は、電車の中という制約付きの時間の奪い合いで中吊り広告が負けてしまった結果、起きたことなのではないだろうか。
 


広告は諸行無常?


今まで慣れ親しんだ中吊り広告を見られなくなるのは寂しい気もするが、それは感傷的過ぎるというものだろう。いつの時代も、広告は諸行無常。古いものが消え去り、新しいものが次々登場するならば、それはむしろ健全だ。
 
山手線の中吊り広告廃止を嘆くより、新しく登場するデジタルサイネージに期待する方が前向きだ。デジタルサイネージ(電子看板)は中吊り広告よりもパワーがあるとは言え、動画になったくらいで簡単に手元の電子デバイスに勝てるとは考え難い。電車内の人の時間を奪うために、あの手この手の工夫を繰り出してくるだろう。王道を極めるも良し、奇を衒うも良し。どのような創意工夫を見せてくれるのか、今から楽しみにしたい。

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