写真がラテに!「フォトラテ」ははやるのか?


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茶色いエスプレッソコーヒーの上に、白いラテ = スチームミルクで絵を描く「ラテアート」。その画像をSNS等で話題にしやすいことも手伝ってか、ここ何年かで急速に広まりつつあるように見える。Google Trendsで確認する限り、ラテアートの初出は2008年1月で、ピークは2013年12月(2016年2月現在)。ピーク後も検索量は一定の水準を保っており、一時のブームだったものが着実に根付いて来ている感じだろうか。寒くなって温かい飲み物が恋しい季節になると、検索量が増えるようだ。
 
さて、このラテアート人気に乗っかる格好で、ネスレ日本から新しいラテマシンが登場した(参考:写真がそのままラテアートに ネスレ日本の「フォトラテ」|AFPBB News)。このマシンを使えば、写真をそのままラテにする「フォトラテ」をつくることができる。人の手に頼ることなく、常に「画質」の高いラテアートを提供可能になるのだ。
 
ただし、「画質」の高いラテアートが利用者にうけるかというと、そこは未知数。カフェラテに描かれる絵の品質向上は、提供側の独りよがりに終わる可能性もあるように思う。
 

カフェラテ

credit: StockSnap via pixabay

 


フォトラテは「ありがたみ」がない!?


フォトラテの成功を疑うのは、ラテアートの価値は「人的努力」にあると考えているからだ。目の前で人が手づくりするからこその価値 = 「ありがたみ」。ラテアートの人気を支えているのは、まさにこの部分のように思われる。
 
また、手づくりだから失敗もあるし、アドリブで対応しきれないこともあるが、そこに愛嬌が生まれる。一度つくったラテアートを再現することはできないので、飲んだらおしまいというはかなさも感じているだろう。このような部分に魅力を感じる人は多いはずだ。
 
当然ながら、機械を使ってつくるフォトラテでは、これらの要素が欠けてしまう。いくら画質が向上しても、それが利用者にうけるとは限らないと考えるのはこのためだ。
 


高品質ばかりが能じゃない!


人の手でつくったラテアートは、「画質」が高いほど喜ばれるだろう。しかし、だからと言って機械を使って更に「画質」を上げても、それが受けるとは限らない。それは、利用者が価値を見出している部分を見誤っているため。利用者が望んでいないタイプの品質向上になっている可能性がある。製品の品質だけを伸ばしても、喜ばれるとは限らない。高品質ばかりが能じゃないのだ。
 
もちろん、これは一つの仮説に過ぎず、機械を使った画像の品質向上を喜ぶ利用者がいるかも知れないし、そこに手づくりラテアートとはまったく新しい価値が生まれることもあるだろう。しかし、ただ画像の品質が上がったから素晴らしいと考えているなら、それはかなりあやういことになる。
 
製品の品質向上は、それが利用者の心に響いてこそ価値があるものだ。この部分を考えることこそが、マーケティング的な発想法であり、成功のために欠かせない要素となる。現時点でフォトラテがはやるかどうかはわからないが、「画質」ばかりを頼りにしているようなら、その成功は難しいだろう。フォトラテならではの新しい価値をつくり出し、新たなカフェ文化が生まれることに期待したい。

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