ゴジラと君の名はと誰かが知っている時代


この記事の所要時間: 250秒 〜 350秒程度(1633文字)


先日、【悲報】「ゴジラ」、62年前も「君の名は」に負けていたというまとめがあった。アルファルファモザイクという2ちゃんねるのまとめサイトの記事なので顔をしかめる人も多いだろうが、「インターネットのコンテンツに貴賎なし」という広い心持ちで見れば、なかなかおもしろい。何より、1954年(昭和29年)の配給収入で、ゴジラシリーズ第1作「ゴジラ」が、岸惠子、佐田啓二の「君の名は(第三部)」に負けたのは本当のこと(参考:1954年の映画|ウィキペディア日本語版)。「シン・ゴジラ」、「君の名は。」はともに公開中なので、今年の興行収入でどちらが勝つかはわからないが、この偶然の一致はちょっとキャッチーだ。
 
さて、この話題でつくづく思うのが、今は「誰かが知っている」時代だということだ。何事も、多くの人がいれば誰かが知っていて当たり前。ここまではいつの世でも変わらないが、インターネットやソーシャルメディアの浸透で情報伝播の仕組みが様変わりした。「誰かが知っている」が表にあらわれやすくなって来ており、その影響は案外大きい。現代が「誰かが知っている」時代であることを自覚して行動するに越したことはない。
 

credit: eak_kkk via pixabay

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「誰かが知っている」ことが脅威に!?


ここ十数年、個人の情報発信のハードルがすごい勢いで下がっている。インターネットが一般的でなかった時代に個人が情報を発信するというのは大変なことだった。それが、インターネットが普及し、掲示板、ブログ、ソーシャルメディアなどが出現したことで、状況が一変。今では、いつでも誰でも情報発信を行なえる環境にある。
 
この環境変化の結果、「誰かが知っている」情報がどこかしこにアップされ、その情報が一気に伝播しやすくなった。誰が発信した情報なのかとか、その情報が重要か否かとかはあまり関係なく、おもしろさをキーに好奇心のまま広がっていく状態。冒頭に挙げたゴジラと君の名はの例などは、この典型だろう。
 
「誰かが知っている」情報に変わりはなくても、それが伝わりにくい状態と伝わりやすい状態では、最終の結果は大きく異なってくる。どんなことについても、詳しい人や専門家はどこかにいるので、誰かが知っている。そして、そこから情報が漏れ伝われば、後は話のおもしろさ次第で思いもよらぬ展開となる。行き着く先の予想は困難で、発信者もコントロールできない状態。狭い範囲で共有されていた情報が、急に誰もが知っている情報になったりする。情報が伝わりやすい状態ができたことで、「誰かが知っている」ことが脅威になってきているのだ。
 


「誰かが知っている」という自覚を持つ


ウェブ上の不用意な画像が危険なのも同じ原理が働いている。誰しも、ネットで画像を見て、「この場所、知っている」と思うことがあるだろう。有名な場所でなくても。背景にある道の感じや建物の特徴でどこなのかわかってしまう。当たり前だが、誰にとっても、自分が知っていることは知っていること。他の多くの人が決して気付かないようなことでも、たまたま知っている人はいるのだ。その人がその場所をどこか指摘すれば、危険の源泉になり兼ねない。
 
場所に限らず、誰も知らないようなことが不意にわかってしまうことはリスキーだ。もちろん、他愛もない話ならどうということはないが、場合によっては何か不都合が起きることもあるだろう。この構図は、インターネット上でもリアルな社会でも変わりないが、ポイントは前者では「誰かが知っている」ことが圧倒的に伝わりやすいこと。インターネット上で情報を発信するときには、「誰かが知っている」という自覚を持つことが特に必要なように思う。

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