次に嫌われるのは喫煙席のそばの席?


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お店での席選びは、ちょっと楽しく、ちょっと悩ましい。窓際の席は外が見えて嬉しいが、奥の席のほうが落ち着く感じがする。エアコンの風が直撃する席や賑やかな学生たちの隣の席は避けたいし、席の後ろを人がちょくちょく通る席は何だか居心地が悪い。最近は席を指定してくれる店が多いため、はじめての店で「ご自由に」などと言われると戸惑うものだ。「どこに座っても大差はない」、「考えるだけ無駄」とはわかっていても、ついついより好みしてしまう。
 
さて、先日、あるチェーン店で目撃した家族連れがユニークだった。禁煙席を指定して禁煙席に案内されたところ、「ここは喫煙席のそばなので、他の席にして欲しい」という厳しいリクエスト。小さな子供がいたので気にするのはわかるが、その店は禁煙席と喫煙席がガラスで区切られているしっかり分煙された店だ。他のお客に迷惑をかけているわけではなく、どこに座ろうと自由とは言え、「ついに、ここまで来たか」という感じがした。タバコ嫌いな人の言動は、新たなステージに移りつつあるのかも知れない。
 

credit: realworkhard via pixabay

 


「タバコ ⇒ けしからん」のカテゴリー適用法は行き過ぎ!


自分はタバコの煙が苦手だが、最近の「嫌煙」には行き過ぎも感じる。「タバコの煙は周囲の方の健康を害するので、ここでは控えてください」ならわかるが、「タバコを吸うことは悪いことなので、何が何でもやめるべき」に近づくと同調しにくくなる。タバコについては、すべて何が何でも、嫌う、批判する、やめさせるべき。そこに確たる理由はなく、これではまるで「タバコ ⇒ けしからん」のカテゴリー適用法だ(参考:カテゴリー適用法に気をつけろ!)。
 
マンションのベランダでタバコを吸う「ホタル族」への批判などがその典型だろうか。確かに、隣の部屋のベランダは少し煙くなるだろうが、空気がこもらない屋外で一人がタバコを吸っても、健康に害を与えるようなことにはならないだろう。同じ隣の部屋からのにおいでも、ベランダで育てる花の香りは素晴らしく、タバコの匂いは臭いというのは、わかるようでわからない理屈だ。
 
タバコの煙について、問題がある状態と問題がない状態の境目がはっきりしないため、何もかにもが「ダメ」に分類されているように思えてならない。そして、基準がないからこそ、カテゴリー適用法に走る。喫煙席のそばの席が嫌われる。タバコが追いやられることはタバコ嫌いにとっては歓迎すべき状態ではあるものの、そのヒステリックなさまはベクトルが他のものに向かったときに空恐ろしい。「空気中のニコチン濃度が○○を超えない限り不問にする」などの線引きがないと、キリがないのではないだろうか。数値的な線引きは実務的に難しいのだろうが、現実的なラインを見定め、共有する必要を感じる。
 


過剰品質を求めてませんか?


人は「もっともっと」が大好きだ。何かを目指しはじめると、ある程度のところでとどまらず、もっとできないか、もっとできないかとなりやすい。テレビの画質向上しかり、ゴミの分別しかり、ダイエットしかり、タバコの排除しかり。いつの間にか手段が目的化して、「そこまでやる必要はないのでは?」というところまでやってしまう。
 
テレビの画質がよくなっても見る側の満足に効果が出るのはあるところまで、ゴミの分別だって細かくすればするほど次の一段階の効果は少なくなるはずだ。タバコの問題も一緒で、タバコの煙を減らすことで健康への害は減るが、ある程度のところ以上の削減努力は効果が少なくなるだろう。
 
取り組みの量と効果の関係はだんだん比例しなくなっていき、徐々に頭打ちになることが多い。過剰な品質を求めても、それに伴う効果は得られないわけだ。「ここからが過剰品質」というラインを引くのはなかなか難しいが、人は「もっともっと」になりやすく、その努力は無駄になりやすいということを意識するだけでも違ってくる。行き過ぎた努力をしないためにも、「過剰品質」の感覚を身に付けたいものだ。

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